omoikomi0’s diary

日々をつづる、今日の思い込み0を

最初の第一歩

こんな真夜中のスタートは、感情のままに書いてしまうかもしれないから、

要注意。

 

「思い立ったが吉日」が長年座右の銘だったが、

発想だけで生きてた20代、

 

気が付けば、大御所と呼ばれるような年齢になってしまっていた。

 

華やかな30代半ばまでのキャリア在りきの人生から

家庭に入り、自分と戦うことを覚えた40代。

 

今は、どんよりとした薄暗い雲に覆われているようなコロナ禍で、

更に追い打ちをかける鵜ようなPMSがマインドを乱高下させている。

 

ブログに書いてみようと思い立ったのは、

 

自分が思い込みで生きてしまっているのではないかと、

「気付き」があったから。

 

当たり前のことだが、

誰もが自分の人生しか生きれない。

 

誰かのそれと比べるのも難しいし、

この先の人生がどうなっているかもよくわからず

手探りで進んでいる人が多い中、

私もやっと、これじゃいけないと気が付いた。

 

いい加減に生きているつもりは決してなかったが、

40代にもなるとお悩みは多くて、深くて、

口に出せぬことが多くなってきた。

 

口角が下がるたびに、無口になって、

誰とも意見を交換せず、自分一人で勝手に思い込んだものに

動かされていると、気が付いた。

 

自分が何をやりたいか、

何をやるために生まれてきたか、

 

そこでぐるぐると回っている人間が多い。

 

私も必要以上に、それだけをずっと考えてここ10年ほど自分に聞いている。

 

何をどうしたのか、

しっかり脚を地につけて、メモることから始めてみてはどうか・・・

ただの作業になったとしても、読み返して、振り返り、

軌道修正のヒントになるのであれば

それは有益だと考える。

 

掲げた目標はどれだけ進んだか、

何合目まで登れたかと、山に例える敗者の選挙と同じではなく、

勝負は続いていく。

 

 

自分の人生は一度しかない。

本番一度きりだが、敗者復活があるから、映画になるのだ。

順風満帆だったと、昔を懐かしがり、今を恨むよりは、

楽しく元気に今日も進んでいくことが必要なのだ。

 

誰かにたたかれるのを怖がって、

ひっそり目立たぬように生きていくのはもうやめる、

思い込み0でやっていく。

 

頭が固くなっては、斬新なアイデアが浮かばない、

常に疑問意識を持ち続けよう、

40代の聞く力は本当に乏しいから、記録の意味でも、書くことの必要性が高い。

 

独りよがりに生きることは危険がつきものだ。

引き返せないところまで来たら、後は落ちるしかない。

 

しっかり自分に問いかける。

これでいいのか?ってこと。明日死んだら後悔はないか?と

 

自分を奮い立たせて、律して、よりよく生きようとすることが、

自分の愛している人に通づることを信じて。

 

3月23日深夜の独り言。